ギャルゲーで、一枚絵CGの表示時や立ち絵の変化時にテキストが消える(止まる)ことについての考察


■「リトルバスターズ!」のBGMが弱いワケ
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この記事関連。


ギャルゲー(当記事においてはノベルタイプのギャルゲーのこと)(KeyとかTYPE-MOONとかの)における、「視覚」と「聴覚」のシェア問題。

モニターに示されるものとスピーカーから流れるものの構成要素


グラフィック……絵
テキスト……文字
サウンド……BGM
ヴォイス……声
(あとSE)


細かく見ると、グラフィックとテキストの間に存在するといえる「テキスト表示の為のフレーム・ウインドウ(メニュー(SAVE/LOADなど)アイコンが一体化されている場合も)」「日付の表示」「テキストウインドウ横にあるキャラクターの顔」「マウスカーソル」など(もありますが、その辺は今回スルー)。


それらの組み合わせで、『物語』を表現している。(その連続が、『物語』になる)


サウンドとヴォイスは、互いに排他性を持っている。

耳は同時に幾つもの音を認識できますが、それらが互いに独立した意味だけを持つ音だと、一つ一つの主張は効果的には作用しづらい。様々な音が入り乱れる雑踏の中で、ただ漠然とその様々な音を聞いているだけでは、個々の音が意味するところを正確には認識できないでしょう(漠然とではなく注意すれば可能でしょうが)。


音が幾つも存在することがイコール主張が弱いというワケではなく、それらがそれぞれで独立した意味だけで存在してるから弱いというワケです。
音楽は、例えばギターやドラムやベースなどの沢山の音を同時に流していますが、それらは独立した意味を持つ音ではなくそれぞれが一つの楽曲を構成するために存在している音であり、聴者はその関連性を有機的に結び付けて一つの楽曲を認識している。それぞれの音が結び付けば、多くの音が存在していても構わないという事です。


しかしながら、ギャルゲーにおけるサウンドとヴォイスの二者間においては、ほぼ全ての場合で”独立した意味しか”有していない
この点で、その二者間では排他性が生まれ、それを許容するために「BGMフェード」なるものが存在するのではないでしょうか。
連続的に存在する音楽より、その瞬間にしか存在しないヴォイスの優先順位を高めるから、BGMがフェードする。


グラフィックとテキストも、排他性を持ってはいるが……

サウンドとヴォイスが聴覚に対し物語を物語るモノならば、グラフィックとテキストは視覚に対し物語を物語るモノ。


しかし同じ”視覚”を共有するグラフィックとテキストながら、これらは基本、グラフィックは”瞬間視的に”視るもの、テキストは”じっくりと(観察的に)”読むものと、特性が大きく異なります。
絵は一瞬で見て認識できるけど、文章は一瞬で見て認識するのが難しい。
その特性に合わせて、グラフィックとテキストを両方とも上手い具合に主張させて、そこにある排他性をコントロールしているように感じます。


その一つが、グラフィック変化時の空白時間のこと。
一枚絵CG表示時に、画面にテキストが表示されるタイミングを通常より遅らせたりとか。
背景CGが切り変わる・キャラクターの立ち絵が変わる際に、テキストが表示されるウインドウが一瞬消えたり、テキストの進行が一瞬止まるのも、また、その順番もタイミングとかも*1
視覚に対して有効的に作用しています。


テキストは視覚を長い間シェアしなければ認識できませんが、グラフィックは視覚を短時間シェアしただけで認識が可能です。
なので、キャラ絵の変化などのグラフィックの変化があった際、一枚絵CGなどの情報量が多いグラフィック(=認識に普段より多少の時間を要す)の際には、グラフィックに視覚をシェアさせる――グラフィックを観察させるためにテキストを一瞬放棄する――のでしょう。


特にTYPE-MOONの作品(Fateなど)のような、テキストの表示範囲が画面全体に及ぶ作品においては、このような「グラフィック変化時のテキストの除外」は、グラフィックを認識させる為に必要不可欠なものではないでしょうか。


グラフィックとテキスト、同じ”視覚”を共有するものながら、排他性を上手い具合に除外している。


(※追記:こういう処理を(あんまり)してないゲームもありますね。この記事は、こういう処理をしているゲームの場合についてのみのコトです。記事タイトルの「テキストが消える(止まる)」の後に『場合』を付けた方が内容に合ってるかも)




グラフィック・テキスト間での対処法と同じようなことをサウンド・ヴォイス間で(結果的に)行っているのが、「BGMフェード」だと考えられます。
音楽はじっくり聞かすもの(”瞬間聴”的なことが難しい)のに対し、ヴォイスは短時間で聞かせられる(”瞬間聴”的なアプローチが可能)。ただしこれは時間的な見方であって、主張的(物語る上で成す意味的)な見方としては、ベストだとは言い難いでしょう。
寧ろそのような方策は、「サウンド」「SE」の間で執り行われて来たものである、と考えられます。

*1:プログラム的にどうこうっていうのもあるかもしれませんが