我妻由乃の”我妻”って……


ネットを見ていると、たまに見かけます。ニュースサイトさんが紹介する記事のタイトルとかでよく見ます。
「我妻由乃は〜〜どうのこうの〜〜」とか、
「『未来日記』の我妻由乃に関する〜〜」とか。


やー、今まで。
我(が)妻(の)由乃由乃俺の嫁 という意味だとばっか思ってて、いくらなんでもみんなちょっとは自重した方がいいんじゃないでしょうか、記事タイトルに俺の嫁書きすぎじゃないでしょうか、とか思ってたんですけど。



その『未来日記』を読んで知りました。




我妻って、名字だったんですね


なんかすみません。



以下余談(むしろ本線)。
この名字が、由乃の性質に対する僕の認識を妙に加速させてる印象があったので。


「名は体を表す」とは言いますが、作者がその人物の性格から運命まで自由に*1決定することができる創作では、そのことがより顕著になる場合もあります。
顕著と言うよりは、しっかりと顕現と言った所でしょうか。「〜〜に育って欲しい」という願いを込めた名づけではなく、「〜〜に育つ」と決定付けられた前提での名づけである場合があったりしますので。
もちろん、全ての創作物がそうではありませんが、キャラクターの名前になんらかの意味を含ませて、あるいは暗喩させて、名づけられる場合もあるでしょう。



何らかの意味を込めて名づける。何らかの願いを込めて名づける。それは、現実世界でも普通にあることです。いえ、普通にというより、恐らくかなり大多数の方が、たとえ些細でもたとえ理解できなくてもたとえ叶わなくても、何らかの意味や願いを込めて名づけられたことでしょう。
しかし現実でありえるのは、姓・名で分けると「名」の場合が殆どです。
もちろん、名字の方と対比させたり、繋げて意味を成したり、はては韻を踏んだりという場合もあるでしょうが、一般的には、「姓」は自分一人のものではない、共有されるものであるので、そこを絡めた意味はあまり創造されないでしょう。
しかし、それが可能なのが、創作物の人名の名づけ方です。



話が膨らみすぎそうなので、一端切って。
とりあえず、僕としては、「(創作物の登場人物名において)名字の字面から受ける印象は、キャラクターのイメージを加速させやすいのではないか」みたいに思うのです。
えっと、例えば。
両性的な子に両儀って名字が付いてれば、ああ両儀だから両性的なのねって感じになるし、小っこくてカワイイ子に芝姫って名字が付いてれば、ああ姫だしそりゃ小っこくてカワイイよねって感じになるし、ヤンデレなくらい一心不乱にある人を愛してる子に我妻って名字が付いてれば、ああ妻ね、しかも我ねって感じで、その(ヤンデレなくらい一心不乱に〜〜)イメージが加速する。


これは先にも書いたとおり、「名」の方は現実でも何かの意味を込めて付けられますが、「姓」の方は個人に対して個別の意味を有していない。現実で、「名が体を表す」は変でもおかしくもない、ありえることなのですが、「姓が体を表す」というのは、偶然以外では起こりえない。
その差が、創作物の登場人物においても、名字が示す暗喩(イメージ)に強みを与えているんじゃないかなぁと思います。
つまり、名字(字面程度でOK)と中身に一致性がある・あるいはそう捉えることも出来るというのは、偶然以外に起こらない(狙ってはいない)のだから、そこに運命のような強度が宿るんじゃないかと。
狙いすぎな名字は勿論別物(不可知の力でないと運命になるほどの強度はないから)なんですけど(という意味では例に挙げた両儀は別物なんですけどw)、名字の字面の印象が人物の暗喩っぽい、あるいはそう捉えられるようなモノであったら、姓・名の「名」とはまた違ったタイプの、強い強度を持って印象付けられるんじゃないかなぁとか思いました。そんな話です。

*1:原則的に。制約は毎都度かかると思いますが