ブログがnotableかordinaryかということは、ブロガーがnotableかordinaryかということと、決して一致しない、けれど。


僕はここ以外に、別のところで一年半以上に渡りブログを運営しているのですが、そこはひとつのジャンルに特化したブログですので、どうにも、他のことを書きにくい空間になっています。
長い間ある特定のジャンルと、それに関連するものについてばかりを書いてきて、それが閲覧者さんにある程度以上受け入れられていたのに、今更全然違う話をするのは、非常に難しいのです。
一年半もそのジャンル中心にやっていれば、閲覧者さんも、「ああここのブログは、殆どこのジャンルのこと”だけ”を書くんだな」と思われるでしょう。それなのに、いきなり関係ない話なんてし辛いじゃないですか。逆に考えるといい。いつも見ているブログが、いきなり、今まで一言も触れてなかった内容ばかりを書き始めたらどう思うか。例えば、ゲーム関連の話題しかしなかったブログが、いきなり、ライトノベルの感想をめっちゃ書き始めたら、閲覧者である自分はどう思うか。それでも、興味を持ってそのブログを見続けるか?


これはもの凄く怖いことです。
書く方にとっては。


今まで話題にしてきたものと、違うジャンルの記事を書いたとして。
もしも、それが受け入れられなかったら。
今までやってきたブログの内容と違った雰囲気の記事を書いて。
それが閲覧者から「いらない」って思われたら。


だとしたら。
閲覧者さんが欲しいのは、そのジャンルの情報である、というのが明確になってしまう。
つまりは。
今まで閲覧してきてくれた方は、僕が書いた記事が読みたいのではなくて、”そのジャンルの情報に関する記事が読みたい”というのが、明確になってしまう
最高でも、”(僕が書いた)そのジャンルの情報に関する記事が読みたい”という、限定条件付きのものになってしまう。


今まで、あるジャンルに特化して。
それが受け入れられることにより。
まるで僕自身が評価されていたように思っていたけど。
本当は。
書き手を評価しているのではなく、そのブログに記述されたこと(情報)が評価されてきただけなんじゃないか?


その問が、明白になってしまう。今まで得られた承認は、その前提の元であり、僕個人を承認してきたわけでは”決してない”のではないかという。僕が記した情報が notable になることはあっても、僕自身が notable になったことは、本当は一度もないんじゃないか? という、疑念。


その問いを、白日に晒す勇気は僕にありません。だからこうして、別のことを記すために、別のブログを用意したわけです。



とはいえ、これは明らかに、ブロガーからの視線。
閲覧者から見れば。ブログというのは基本的に*1、そこに記された情報が評価されるものであり、決して、それを記した人を評価しているのではありません。
これはブログだけではありませんね。ありとあらゆる創作物にも当て嵌まることでしょう。
例えば小説なら。「作者の死」を持ち出すまでもなく。作品と作者は不可分でありながら、作品を受ける読者は基本的に*2作者は措いておいて作品だけを評価します。
作品が素晴らしいからって、必ずしも作者も素晴らしいとはならないでしょう。
作品が notable だからって、必ず作者も notable になるとは限らない。
逆に、作品が ordinary だからって、作者も ordinary になるとは限らない。
だって作品に刻まれてるのは『作品』であって、『作者』ではないのだから。


それと同じく。
ブログに記されているものは、そこに記述された情報であって、それを記した人間自身では決してない。
記された情報にいかなる評価が与えられようとも、それが直截にそれを記した人間の評価になることはありえない。


だから、まあ。
閲覧者さんは、ある程度以上は、ブロガーとブログを分離して見ているだろうから、上に書いたようなものは半分以上、書き手の幻想に過ぎません。
でも、半分以上幻想でも、怖いものは怖いんです。半分以下の幻想ではないものが、怖いのです。

*1:「基本的に」であって、いわゆるファンやアンチは別です

*2:これも同じく「基本的に」であって、いわゆるファンやアンチ、批評家や作家論的読みを試みる方は別です