2009年のギャルゲー売り上げ&ちょっとした総括と展望

こんちは〜、ジャスト一年振りの更新です。見ている人、いますか?
ということで、毎年恒例のコンシューマギャルゲー年間売り上げランキングを。数字は、ファミ通の売り上げデータを基本に。ただ紙面にはTOP30までしか数字載ってませんので、細かい所は推測値になります。なお、アニメや漫画・ライトノベルなど原作が他にあるものは、ここではギャルゲに含めないということで集計しています(たとえばハルヒとからき☆すたとかね)。

順位 機種 タイトル メーカー 推定本数 発売日 初週本数
1 PSP アイドルマスターSP バンダイナムコ 187,039 2月19日 121,271
2 DS ラブプラス コナミ 175,895 9月3日 47,854
3 PS2 アマガミ エンターブレイン 73,415 3月19日 47,762
4 PSP ときめきメモリアル4 コナミ 68,870 12月3日 47,469
5 XBOX360 ドリームクラブ D3パブリッシャー 58,290 8月27日 44,884
6 PS2 メルティブラッド アクトレスアゲイン エコール 58,204 8月20日 42,489
7 XBOX360 シュタインズゲート 5pb 43,638 10月15日 16,434
8 PSP To Heart2 PORTABLE アクアプラス 43,361 7月30日 32,521
9 DS アイドルマスター ディアリースターズ バンダイナムコ 42,814 9月17日 33,395
10 PSP Fate/Unlimited Codes PORTABLE カプコン 37,779 6月18日 31,822
11 PSP おおかみかくし コナミ 35,970 8月20日 21,582
12 DS ひぐらしのなく頃に絆 第三巻・螺 アルケミスト 34,725 5月28日 26,391
13 PSP うたわれるもの PORTABLE アクアプラス 33,081 5月28日 23,157
14 XBOX360 CHAOS;HEAD NOAH 5pb 25,645 2月26日 17,952
15 PSP 智代アフター プロトタイプ 22,135 3月19日 15,495
16 PS3 ティアーズ・トゥ・ティアラ外伝 アヴァロンの謎 アクアプラス 20,586 9月17日 16,469
17 PS2 すっごい!アルカナハート2 AQインタラクティブ 18,317 4月9日 13,738
18 PS2 D.C.I.F. 〜ダ・カーポ〜イノセントフィナーレ Sweets 15,856 4月29日 12,685
19 XBOX360 11eyes CrossOver 5pb 13,919 4月2日 10,022
20 DS ひぐらしの哭く頃に 雀 AQインタラクティブ 13,607 11月12日 10,342

基本的には初動率70%くらいで計算して数字出してます。廉価版を除く殆ど全てのコンシュマギャルゲーが、初動率65〜80%で収まっているので、これでもおおむね/だいたいくらいの数字として見るならいけるでしょう。数千本違ってても、数万本違うというのは多分殆ど無いはずだと思います(去年やった時は二個ほど思いっきりずれちゃったけど)。ちなみに「リトバスCE」も多分2万本くらいは売れてるんじゃないかと思いますけど(ファミ通TOP30においては初週ランク外、しかし年末ということもあり下限が32000本の激戦週)、初週の数字すらわからんので除外。
とはいえ今年は「ラブプラス」「シュタインズゲート」という、普通の売り上げではないギャルゲーがあったので、その辺に関してはもうちょい細かくやっています。「シュタインズゲート」は、初週16434本、二週目4253本、三週目6095本と推移したあと、四週目からはランク外(TOP30の下限値は、年末年始や決算期ラッシュなどを除くと、だいたい5000〜3000本くらいが基本)。三週目で売り上げが増したのは、ちょうどネットで評判になり始めたあたりですね。ここから普通のギャルゲーの二週目以降のように半分→半分→半分(たとえば6000本→3000本→1500本→750本)と一気に落ちていくとは考えずらいので、その辺の下降線が緩やかなものだと仮定して計算しています。まーなんつうかVGばりの推測っぷりなので、あくまで大体というか多分の数字ということで(笑)。そのうちまともなの出たら修正します。
ラブプラス」の売り上げ推移は、これだけ長期間に渡り売れ続けているのは、廉価版を除くとおそらく「サクラ大戦」とかあの辺のギャルゲー全盛期以来となるんじゃないでしょうか。(※「サクラ大戦」初週20万のあと、二週目45000、以降23000→12000→8700→8500→8000→5000→7000……と推移、「ラブプラス」初週47000のあと、二週目15000、以降6500→ランク外→6500→ランク外→25000→16000→4000→6000と推移)  とそんなワケで、初動率なんかから推測しようが無いので、その後も5000から緩やかに4000→3000台と下がっていく感じかなぁと推測して数字出してます。これもまた、後にまともな数字が出てきたら修正したいですね。

2009年のコンシューマギャルゲーは「変化の年」だった

さて、2009年のTOP20を見てまず驚くのは、10万本以上の大ヒットが2本、5万本以上のヒットが4本あるということ、そしてそのうち「アイマス」と「メルティブラッド」以外が移植ではない、コンシューマオリジナルというところです(アイマスは大元はアーケード、メルブラは大元がPC、どちらも大元からはかなり変化していますが)。

たとえば2008年のベスト10を見てみましょう。
■2008年

1 PS2 Fate/Unlimted Codes カプコン 107,040
2 DS ひぐらしのなく頃に絆 第一巻・祟 アルケミスト 82,566
3 PS2 アイドルマスターL4U バンダイナムコ 75,272
4 DS サクラ大戦 君あるがため セガ 59,040
5 PS3 ティアーズ・トゥ・ティアラ アクアプラス 55,415
6 PS2 D.C.2 P.S. ダ・カーポ2 プラスシチュエーション 角川書店 55,194
7 PSP CLANNAD プロトタイプ 53,147
8 PS2 キミキス(エビコレ) エンターブレイン 51,283
9 PSP ひぐらしデイブレイク PORTABLE アルケミスト 46,918
10 DS ひぐらしのなく頃に絆 第二巻・想 アルケミスト 44,912

(※2007年以前はこちら(http://d.hatena.ne.jp/Nota/20090116/1232099616)を参照ということで)
このうちコンシューマオリジナルは「サクラ大戦君ある」「キミキス」、そして元もとのアーケードとは全然別物なので最早オリジナルといって差し支えない「アイマスL4U」の3本(うち一本「キミキス」は所謂ベスト版に多少のプラスアルファが為されたものなので、2008年の新作だとは言い切れない)。対し2009年はTOP10圏内に「ラブプラス」「アマガミ」「ときメモ4」「ドリクラ」「シュタゲ」と5本もある、さらに「ラブプラス」「ドリクラ」と続編ではない全くの新作が2本あるというところも、驚異的ではないでしょうか。

2009年のコンシューマギャルゲーは「変化の年」だった。そんなことは「ラブプラス」「シュタゲ」「ドリクラ」「ときメモ4」などのオリジナルタイトルがここ数年のギャルゲーでは殆ど類が無いほどに話題になったという点からも明らかですが、もっと全体的に見ても変化の潮流を感じ取ることが出来るでしょう。
たとえばギャルゲーのタイトル数は、2007年:56タイトル、2008年:58タイトルと推移していましたが、2009年はなんと71タイトルも発売されています(※廉価版、内容と機種は同じでの連作の1・2セットリパッケージ版(たとえば「ひぐらし絆 第一巻・第二巻セット」)などは除く)。単純に発売タイトル数が二割増しに伸びているということですね。
さらに機種別の発売タイトル本数の版図も大きく塗り替えられています。

PS2 PS3 Wii XBOX360 PSP DS
2007 42 0 0 1 9 5
2008 33(-22%) 1 1 2(+100%) 13(+44%) 9(+80%)
2009 18(-46%) 1 0 8(+400%) 34(+160%) 10(+10%)

2007年に比べると、PS2でのギャルゲー発売本数は2008年に約2割減、さらに2009年にはその半分近く減り、2年前の4割ほどのタイトル数になってしまいました。変わって驚異的な伸びを見せているのがXBOX360PSP。前者はそもそもタイトル数が少なすぎるのでパーセントで見ると凄いことになってるんですけど(笑)、それでも「アイマス」一本から2倍・4倍と伸び続けています。頭打ちラインが何タイトルあたりになるのか分かりかねるところですが、少なくとも今年中にはPS2のタイトル数を逆転するのではないでしょうか。そして2009年、タイトル数においては覇権を獲得したPSP(たとえば売り上げにおいても、PS2PSPで同時発売だった『戦極姫』が、PS2版:初週4,775本、PSP版:初週7,704本と、タイトル数はおろか売り上げにおいてもPSPPS2を上回る例もあります)。08年も決して少なくは無かったのですが、そこからさらに3倍近くのタイトルを発売しています。発売予定表を見る限りでは、まだまだ勢いは衰えなさそうです、が、実はPSPは、2009年に発売された34タイトル中24タイトルが「既にPS2など他の機種で発売済みゲームの移植」というもの。売り上げランキングに入ったものでは『To Heart2』や『うたわれるもの』などがそうですね。他に元KIDタイトルが恐ろしいほど沢山発売されてたりします。まあ早い話が、「ほにゃららポータブル」というタイトルが付けられたゲームがめっちゃ多いという話で(2009年で10タイトル)。その点、PSPもギャルゲ全体で見ても、去年よりタイトル数増えたとはいえ、多機種間の移植が多いというのを考えると、数字を額面通りに受け取りすぎるのもあまりよくないかもしれません。
また「PC(主にエロゲ)からの移植」が新作という観点(多機種で既に発売済みのものを除くと、という意味)からすると少し減ったというのも、変化を表しているでしょう。2007年は32タイトル、2008年は30タイトルに対し、2007年は22タイトル。まあ多機種で既に一度は移植されたことのあるPCゲーム(たとえばPSPの『うたわれ』とか『To Heart2』とか)を入れると平年並みになるのですが(2007年:35タイトル、2008年:36タイトル、2009年:37タイトル)、しかし全体の発売タイトル数から換算した割合で読むと、2007年:62%が元PCゲー、2008年:同じく62%、2009年:52%が元PCゲーとなるように、確実に減っていると言えるでしょう。その変化は実際、上記したように、売り上げにおいてもですね。
ここ5年の、「元がPCゲーム(エロゲ・全年齢・同人)」タイトルで、売り上げが3万本以上だったものを列挙してみると、

09 PS2 メルティブラッド アクトレスアゲイン エコール 58,204
09 DS ひぐらしのなく頃に絆 第三巻・螺 アルケミスト 34,725
09 PSP うたわれるもの PORTABLE アクアプラス 33,081
08 DS ひぐらしのなく頃に絆 第一巻・祟 アルケミスト 82,566
08 PS3 ティアーズ・トゥ・ティアラ アクアプラス 55,415
08 PS2 D.C.2 P.S. ダ・カーポ2 プラスシチュエーション 角川書店 55,194
08 PSP CLANNAD プロトタイプ 53,147
08 PSP ひぐらしデイブレイク PORTABLE アルケミスト 46,918
08 DS ひぐらしのなく頃に絆 第二巻・想 アルケミスト 44,912
07 PS2 Fate/stay night[Realta Nua] 角川書店 184,558
07 PS2 ひぐらしのなく頃に祭 アルケミスト 112,859
07 PS2 ひぐらしのなく頃に祭 カケラ遊び アルケミスト 51,666
06 PS2 メルティブラッド アクトカデンツ エコール 124,880
06 PS2 うたわれるもの 〜散りゆく者への子守唄〜 アクアプラス 101,123
06 PS2 CLANNAD -クラナド- インターチャネル 41,722
05 PS2 つよきす 〜Mighty Heart〜 プリンセスソフト 33,233
04 PS2 SHUFFLE! ON THE STAGE 角川書店 35,625
03 PS2 D.C.P.S. 〜ダ・カーポ プラスシチュエーション〜 角川書店 45,431
03 PS2 EVE burst error PLUS ゲームビレッジ 39,719

こう見ると03〜05年のヤバさが際立つ感じなのですが(笑)、逆に08年以降、特に09年の再生産っぷりが際立つ結果でもありますね。つまり、「TYPE-MOONFate)」関係と「ひぐらし」関係か、既にPS2などに移植済みの葉鍵の「PSP移植」という再生産。実際TYPE-MOONひぐらしPSP移植を抜かしたら、07年以降は「ダ・カーポ」と「TTT」しか無いワケでして。
それを考えると、09年の変化は、まずPSPの飛躍という点で非常に「流れに合ってる・正しい」ものであり(勿論売り上げ的な意味でですが)、そして「TYPE-MOON」でも「ひぐらし」でもない、オリジナルタイトルである「ラブプラス」や「ドリクラ」「シュタゲ」が売れる・話題になるという点でも非常に「好感的な変化」と言えるでしょう。つまり「TYPE-MOON」「ひぐらし」に頼らなくてもいい、次の一手を掴み取ったという点において。さらにそれが、移植ではなくオリジナルだということも良い傾向ではないでしょうか。次の「Fate」、次の「ひぐらし」を待つのではなく、コンシューマが自分たちの手でそれ(に相当する売り上げ・話題作)を作り出すということ、そして実際に作り出せたということ。
またコンシューマギャルゲ全体の販売本数も、あくまで推測値ですが、07年が1,003,450本、08年が1,112,993本と来て09年が1,359,983本と非常に上向いています。単純に本数が増えているのですから全体の売り上げが増えるのは当然なのですが、それにしても良い傾向ではないでしょうか。
果たしてこの流れが2010年にどのように繋がっていくのか、現時点ではまだまだ不明ではありますが、しかし数字を見る限りでは、近年では稀なほど、コンシューマギャルゲー(ゲーム内容も市場も)に希望が持てる結果だったのではないでしょうか。

2008年コンシューマ美少女ゲーム/ギャルゲー売り上げランキング(概算)

数字は正しくはありません。ファミ通の売り上げを準拠に、データ追えない分(30位までしか出ないので)は他メディアの情報&推測と計算と第六感などを駆使しております。おおよその目安程度にお考え下さい
純粋に美少女ゲーム/ギャルゲーのみではなく、アニメ・マンガ・小説など他メディアを原作としながらも、美少女ゲーム/ギャルゲーっぽいもの/そう捉えられるものも含んでいます。この辺の閾がかなり難しい――というか、いざ「含める」となったら万人が納得するものって無理くね?と思うくらいに難しいのですが、とりあえず今回は私基準で分別いたしました(『エヴァ』で例えれば、PS2の「エヴァ2」やセガサターンの「インプレッション系」は含めないけれど、「鋼鉄のガールフレンド」や「綾波育成計画」は美少女ゲーム/ギャルゲーに含める、みたいな感じで)。個人的には「どこまでターゲット層の射程として、そちら(ギャルゲー層)に軸足を置いているか」みたいな感覚で腑分けしております。非常に感覚的で申し訳ありません。とりあえず、「ノイズ」と思われたら、その都度視野から外していただけるとありがたいです。

2008年トップ20

1 PS2 涼宮ハルヒの戸惑 角川書店 139,425 1月31日
2 PS2 Fate/Unlimted Codes カプコン 約120,000 12月18日
3 PS2 らき☆すた 陵桜学園祭 桜藤祭 角川書店 77,552 1月24日
4 XBOX360 アイドルマスター ライブフォーユー! バンダイナムコ 74,608 2月28日
5 DS ひぐらしのなく頃に絆 第一巻・崇 アルケミスト 約66,000 6月26日
6 PS2 エビコレ+ キミキス(ベスト版) エンターブレイン 約60,000 2月14日
7 PS3 ティアーズ・トゥ・ティアラ アクアプラス 約55,000 7月17日
8 PS2 D.C.2 P.S. ダ・カーポ2 プラスシチュエーション 角川書店 約54,000 角川書店
9 DS ドラマチックダンジョン サクラ大戦〜君あるがため〜 セガ 約48,000 3月19日
10 DS ひぐらしのなく頃に絆 第二巻・想 アルケミスト 約44,000 11月27日
11 PSP フェイト/タイガーころしあむ アッパー カプコン 約44,000 8月28日
12 PSP ひぐらしデイブレイク Portable アルケミスト 約44,000 11月27日
13 PSP CLANNAD プロトタイプ 約37,000 5月29日
14 DS どきどき魔女神判2 SNKプレイモア 約30,000 7月31日
15 PS2 恋姫夢想 〜ドキッ☆乙女だらけの三国志演義 イエティ 約28,000 11月20日
16 XBOX360 アイドルマスター(ベスト版) バンダイナムコ 約28,000 2007年
17 PS2 12RIVEN サイバーフロント 約25,000 3月13日
18 PSP To Loveる-とらぶる- ドキドキ!臨海学校編 マーヴェラス 約24,000 10月2日
19 PS2 恋する乙女と守護の楯 -The Shild of AIGIS- アルケミスト 約20,000 11月20日
20 PS2 君が主で執事が俺で 〜お仕え日記〜 みなとすてーしょん 約19,000 3月27日


2008年は5万本オーバー8本、うち10万本オーバーが2本、10位でも4万本越えと、(以下に記す過去三年分と比べていただけるとわかりやすいですが)かなり好調といってもよいのではないでしょうか。『ひぐらし』関連が3本、『Fate』関連が2本と、複数ランクインしています。また、その両者と、『ハルヒ』『らき☆すた』『アイマス』『魔女神判』関連は去年もトップ10内にランクインしており、引き続き大きな支持を集めているともいえるでしょう(『ハルヒ』をこのランキングに含めるのは微妙かなぁと自分でも思うのですが)。
あまり長くなってしまうのもナンなので、ひとまずはこんなところで、細かい思慮分析考慮考察などは別の機会に改めたいと思います。


以下おまけ、過去3年分のベスト10

2006年

1 PS2 メルティブラッド アクトカデンツ エコール 124,880
2 PS2 うたわれるもの 〜散りゆく者への子守唄〜 アクアプラス 101,123
3 PS2 キミキス エンターブレイン 67,196
4 PS2 CLANNAD -クラナド- インターチャネル 41,722
5 PS2 EVE new generation 角川書店 34,324
6 PS2 つよきす 〜Mighty Heart〜 プリンセスソフト 33,233
7 PS2 夜明け前より瑠璃色な 〜Brighter than dawning blue〜 ARIA 28,545
8 PS2 魔法先生ネギま!課外授業〜乙女のドキドキビーチサイド〜 コナミ 26,786
9 PS2 ギャラクシーエンジェル2 絶対領域の扉 ブロッコリー 25,453
10 DS ネギま!?超魔帆良大戦かっとイ〜ン☆契約執行でちゃいますぅ マーヴェラス 22,259

2005年

1 PS2 サクラ大戦5 〜さらば愛しき人よ セガ 144,668
2 PS2 魔法先生ネギま!1時間目 お子ちゃま先生は魔法使い! コナミ 65,771
3 PS2 魔法先生ネギま!2時間目 〜戦う乙女たち!麻帆良大運動会SP!〜 コナミ 66,140
4 PS2 サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜 セガ 51,563
5 GBA 魔法先生ネギま!プライベートレッスンだめですぅ図書館島 コナミ 38,538
6 PS2 SHUFFLE! ON THE STAGE 角川書店 35,625
7 PS2 D.C.Four Seasons 〜ダ・カーポ〜フォーシンズンズ 角川書店 26,373
8 PS2 舞-HiME 運命の系統樹 マーヴェラス 25,794
9 PS2 Memories Off #5 とぎれたフィルム キッド 24,740
10 PS2 永遠のアセリア ―この大地の果てで― 日本一ソフトウェア 23,444

エロゲは16:9になってどう変わるのか


TVアニメはしばらく前から、4:3の画面構成から16:9の画面構成へと作りが変動しつつありますが、エロゲにおいても、そういった画面構成の変化が見られ始めているようです。


エロゲーのワイド画面化について - Rewriteの16:9議論から
http://www.i-love-key.net/archives/2008/10/rewrite169.html(鍵っ子ブログさん)
Keyの『Rewrite』も16:9なんですね。


さて、4:3から16:9。単純に見た目が変わるというのは言わずもがなのことですが、それがプレイヤーに如何なる影響を与えうるのか? 私自身が16:9のゲームを未プレイなのでいささか想像により語る部分だらけではありますが、先立って4:3から16:9へと変貌を遂げた(遂げつつある)アニメを参考にその辺りを考えてみたいと思います。

描写空間の拡大・情報量の増加

4:3と16:9の最大の違い。まず何より「描写空間」に目が付くでしょう。


鍵っ子ブログさんの記事(http://www.i-love-key.net/archives/2008/10/rewrite169.html)の中ほど(「普通のディスプレイの人にとって16:9は嬉しくない?」項目の中ほど)に、同じ絵を16:9化したものと4:3化したものがありますが、それを見ると、両者の「描写されてる空間の違い」が目に付くと思います。


勿論、本来は構図から何からして、「4:3用は4:3用に描く」「16:9用は16:9用に描く」という点で、実際はこのように単純化できるわけではありませんが、しかしエロゲーのように、描くべき対象(キャラクター)が確固として在る(エロゲのCGの殆どは描くべき対象を描いている)絵に関しては、それが中心に置かれる(絵の中心という場所うんぬんだけではなく、CG枚数の問題的にも、描くべき対象を描くという指向が存在する)*1ゆえ、4:3より16:9の、描写空間の拡大、情報量の増加が生じます。


描かれるものが増えるとどうなのか

さて、16:9で表される絵と4:3で表される絵には、対象の違い以外に、どのような違いがあるのか。エロゲにおいて恐らくどの絵にでも通用するのは、上に示した「描写空間の拡大、情報量の増加」の部分だと思いますが、果たしてそれはどういう効果をもたらすのか。


1年ほど前の雑誌ですが、「メカビ」2007年秋号に、その辺について触れられたコラムがあります(もちろんエロゲの話じゃないです)。

コンテクストを理解し得ない層に、ただ一人の主人公を提示しても通用しなかったからだ。
だから、横長の画面へ、主体の他にたくさんのかじずく有象無象を描いた。(中略)
有名なダ・ヴィンチの『最後の晩餐』(一四九八年)も、キリスト以外のキャラクターたちを描くことによって、物語の効用を解説している。もし、トリミングしたキリスト一人をF的な画面に描いたとしても、それは『最後の晩餐』にならなかっただろう。(中略)
ゴッホは花瓶に挿された『ひまわり』だけを、ひまわりがどのような空間に配置され、どのような意味でそこにあるのかを一切説明せずに描いた。モネは『ルーアン大聖堂』(一八九四年)を、通り過ぎる信者たちもキリスト的存在を意味する抽象的アイテムも描くことなく、ただ光の反射をデザインする構造物として表現した。
(P.91/P.92「16対9の功罪=フィギュアの消失=」川崎昌平
色々中略しまくって何ですが、要すると、沢山のものを描くことによりそれが他の何か・あるいは全体のコンテクストとして機能する、ということですね。


そして、それは逆に、ひとつのものだけを描くと、(他にないから)それ自身がコンテクストとして機能し絶対的になる、という強度(「説得力」と換言してもいいかも。それ自身を文脈にすると、何かよくわからないけど凄い・圧倒的・威圧される、の、「何かよくわからない」が(他に参照するものが無い&作品がこの形として存在する以上)、何かよくわからないまま確かな説得力を持つ(作品を受け入れるのであれば))を失うことにもなります。


もちろんこれは、その対象となる「絵」以外に求めるものがない絵画に言えることで、絵の連続(アニメーション)であり物語組立てられていて音声もあり音楽もあり効果音もありカメラも動くアニメ、絵の連続とカメラの動きがちょっとだけ取り入れられてて後はアニメとだいたい同じくなエロゲに、そのまんまで適用できるものではありませんが、すこしばかり類似する部分もあります。


例えば、『コードギアス』。あの作品では、キャラクターの「画面いっぱいのどアップ」という絵が、結構な回数存在していました(私は一期しか視聴していないので、二期はもしかしたら違うかもしれませんが)。
その「どアップ」な絵は、どういう意味を持っていたか。そこだけ切り取ってみるのは勿論歪ですが、しかし同一画面内に、他に比較になるものもコンテクストになるものも存在しないという、その被写対象の絶対さは、その描写の意味確定に一役買っていたことでしょう。つまり描写の指示対象が単一であり、文脈も描写自身が補っており、多数の「なにか」を見せるよりも、意味が固定されるのです(意味が多様化しづらい)。


エロゲの16:9の「罪」(仮定)

では、エロゲの話。
そもそも、私自身がまだ16:9のゲームを触ったことがないので、憶測になりますし、当然そのエロゲがどんな物語なのか・どういう絵なのかで変わりますし、何よりそこを克服するなんらかの仕掛けが存在するかもしれませんが、エロゲの16:9――描写範囲の拡大・情報の増加は、他メディアのそれと同じく、複数対象を画面に入れることにより中心となる対象に何らかの影響を与えると考えられます。


ここでは、鍵っ子ブログさんでもご紹介している、『SIN 黒朱鷺色の少女』(http://www.studio-mebius.co.jp/software/SIN01/index.html)のデモムービーを喩えに(実際のゲーム画面じゃなくてデモムービーなので、あくまで喩え、仮定)していきたいと思います。


まず、イベントCGなどの「1枚絵CG」。



デモムービーからで、CGそのものではないので、あくまで喩えとして。


画面にキャラクター以外が入ることにより、キャラクター自体の意味が落ちる、かもしれない、とは思います……が、「かもしれない」。


『SIN』でもありましたが、1枚絵CGは、現在でも「カメラの動き」を取り入れることで、4:3以外のCGを4:3で描写するなどということもありますし、そもそもエロゲの1枚絵CGはそれ自体が強い意味を持つというより、あくまで補足的なもの(本当はあの世界では立ち絵CGの時も1枚絵CGみたいにキャラがデフォルメされてなくきちんと存在してるんだけどそこまで描写できないから、特別に何箇所かだけ1枚絵CGとして本当の姿を見せてるよ的な、あるいはその逆)という異質なものであり、だからこそ文脈はそこ以外にしかりと存在するという、ちょっと特殊なものなので、上の文は「かもしれない」。

こうやって文脈関係なしに「絵」だけ見れば、キャラクター(対象)以外の情報が増えることにより意味・印象の拡散が行われ、結果キャラクター(対象)の意味・印象が規律されない・薄まる可能性は存在します。もちろん文脈なしなんで、こんなことは参考としても不確実なのですが。





これもまたデモムービーからで、多分「立ち絵」はこんな感じになるのかなと思い取り上げただけで、あくまで喩えです。仮定です。仮定でお前どんだけ言うんだって感じですけど、まだ発売されてないし、まともなものは発売後ということで(そもそもワイドディスプレイ買わないと)。


こちらの方が、見せ方で調整可能な1枚絵よりも、描写範囲の拡大・情報の増加は際立つのではないでしょうか。人間らしい身体というのは、めっちゃ横長ではないのですから、「横」の描写範囲が圧倒的に広がる16:9では、どうしても4:3よりも「横」にスペースが出来てしまいます。
キャラの胸から上を立ち絵として描写するなら、恐らく上の画像くらい。腰以上や全身など、それよりもっと広範囲を描写するなら、さらにスペースは広がるでしょう。


これは1枚絵よりも目立つでしょう。キャラクター以外の描写対象が増えることにより、指示対象が分散され、キャラクター自体の印象が薄くなる(これは、ある特定のキャラクターと親しくなるという恋愛ゲームにおいては、結構大きな意味を持つ)。さらにテキストや音などの文脈が、画面一杯にキャラクターが表示されている時なら、そのキャラクターだけに向いていると何も考えずに受容できるのに、他のものが写れば写るほど、そこにも向いてしまう――あるいは、その他のもの自体が、文脈として作用するに相応しくなくても、そのように機能してしまう。


や、上に引き続き、「かもしれない」なんですけど。あくまで仮定(しかも実物ないし文脈ないし)なので。


しかし、描写する(される)ものが増えるということは、それだけ意味も印象も意味を規律する文脈なども分散される(だから弱くなる)という可能性も孕んでいることは確かでしょう。


エロゲの16:9の「功」(仮定)

と、なんかまるで16:9になったらよくないんじゃないかみたいなことばっか書いてきましたが、いやいやそんなことはありません。


先に引用したメカビのコラムでも書かれていたように、

有名なダ・ヴィンチの『最後の晩餐』(一四九八年)も、キリスト以外のキャラクターたちを描くことによって、物語の効用を解説している。もし、トリミングしたキリスト一人をF的な画面に描いたとしても、それは『最後の晩餐』にならなかっただろう。
描かれているものが増えれば、それを含めて「全体」とした上での新たな意味が創出される


キリストだけ描いた『最後の晩餐』(がもしあったとして)という絵から見い出される意味と、他の人物も描いた現存する『最後の晩餐』という絵から見い出される意味の違いの理由は、描かれているものが異なり、そして後者は色んなものが描かれてるからそれを加味した上での意味が創出されているように、エロゲにおいても、描かれているものが増えればまた異なる意味が創出される。





例えば、ワイド画面なら、別に↑が実際に作品で用いられるCGではありませんが、喩えとして、こんな具合に、一画面に今までよりも沢山のキャラクターを表示できたりします。


4:3では一画面に二人、三人が限界ギリギリ、四人以上とかかなり無理がある描写でしたが、ワイドならば可能かもしれない。例えば群像劇的なものなどは、より豊かな表現で作り易くなるのかもしれない。あるいは背景なども、これまでは物語の舞台(の一部)となるけど描ききれなかった場所すら描き込めるかもしれない。また端っこに小さいウインドウを出して、そこに小物やアイテムなどを表示させるのも、今までよりも(スペースが広い分)やり易くなるかもしれない。


つまりは。


描写する(される)ものが増えるということは、それだけ指示対象が増やせるということで、それだけ意味も印象も意味を規律する文脈なども増やせるということ


まったく、前項に書いたことの裏返しですが。特徴は、短所にもなるし長所にもなる、ということでもあります。


■追記


なんか重要なことを書き逃しまくってる気がするので。
エロゲの「立ち絵」ってのは、抽象的な表現なんですよね。見ればわかるけど、全然写実じゃなくて、状況をデフォルメして表現した示唆的ってか補足的な記号です(だからテキストの方が普通のノベルゲームでは上位に立ってるわけなんですね。テキストの方がよっぽど正確・誠実だから)。
しかもその上、非連続的。シーン・場面・時・タイミングで、「絵」だけだったら連続性無く変容することが出来る。
そこが「絵」として見た場合の、アニメの「絵」なんかとはちょっと違う点でしょう。立ち絵自体も意味を生成するけど、あくまでテキストの従的立場なんです。立ち絵だけじゃ、テキストっていう投錨がなきゃ何も分からないですからね(無論それを逆手に取った特殊な演出もありますが)。
本質的には、テキストが絵のコンテクストじゃなくて、絵がテキストのコンテクストになるのです(プレイヤー:ゲーム間において)。
僕は別にテキスト上位主義ってわけじゃないけど、でも現状の(立ち絵の)システムだと、テキストの方がどうしても上にくる。ということは、現状のままであるとするならば、そこにおいて絵に求められるのはテキストの補強・補足的な機能であり、そういう点では、16:9という、描写できる対象が増える・拡散する枠組みにおいては、今までとまるで同じに描いても、プレイヤーに今までとまるで同じ経験はさせられないだろうと。
上では「「絵」そのものの表意に関わる、その「絵」内のコンテクスト」みたいなことを書いてたけど、そうじゃなくて、現状ではもういっちょ階層構造ですね。「絵」そのものの表意というのが、基本的にテキストに規律されテキストを補強するものであるから、だからこそ、4:3の方法を16:9にそのまんま敷衍させると、無くてもいいものが増えることもっと強く在るべきもの(アップとか)が弱くなることという、絵とテキストの関係におけるマイナス面――勿論、使いように依ってはプラスになる――が生じてしまう。


■追記ここまで


とかなんとか言いつつ。まだ取り上げた作品は発売前だし、16:9未プレイだし、16:9が普及し出しても16:9に最適化された絵・演出・物語が出回るのは当分後のことだと思うので、まあなんというか仮定の話ってことで、こんなこともあるかなーとかなんとか。そんな話です。

*1:状況整理の為のエスタブリッシュメントショットのような、「経路の繋ぎ・維持」にあたる指向の絵が殆ど存在しない、てゆうかそういう絵があっても、CG枚数的にも(CGという時点で)それ以上の強度を持ってしまう(いわゆる「立ち絵」は別物。この辺はいずれ補足します。たぶん)。

アニメの声と絵の関係と、CLANNADアフター3話の芽衣が超可愛いよね話


クラナドアフター3話の芽衣が可愛すぎます。


というのは、いちいち書き記さなくても皆さんご存知の絶対的事実でしょう。
などと主観と客観の境目をナチュラルに消失してしまうほどに、この度の芽衣の可愛さは超越級でありました。
こんな妹が欲しい……てゆうかもう、抱きしめたくなるほどだ……はっ、失礼しました。

さてくだらない前置きでお茶を濁したところで、この度の芽衣の可愛さの要因……となるのかどうか分かりませんが、私には、ここは「絵」と「声」が非常に相乗的な効果を示したように感じられました。演出とかアングル・構図とか、動きとか、そういうレベルではなく、もっと基本的な部分でです。そもそも「声」と「絵」はどの様な関係にあるのか


声と絵の関係

アニメの声(声優)について、これまで全く考えたことはなかったので、とりあえずそこから。
言葉は発音によってその言葉以外の意味を付与できます。
例えば「お兄ちゃん」という言葉は、ご存知の通り「兄」を指していますが、呼び方ひとつで、その「お兄ちゃん」という言葉以外の意味を与えられます。主に感情面など分かりやすいですね。(文字で記すにはどうにも限界があるのですが、とりあえずやってみますと)「お兄ちゃん!」と、末尾の「ちゃん」を吊り上げるように発音すれば、怒っていたり憤っていたりなどの感情的な意味が付与されます。「お兄ちゃん……」と、末尾が途切れる儚げな発音をすれば、落ち込んでいたり悩んでいたりといった感情的な意味を付与できます。同じ様に、「お兄〜ちゃん」「……お兄ちゃん」「お・に・い・ちゃ・ん」「お、お兄…ちゃん…」「……お兄ちゃん!」、これら言い方一つで、『お兄ちゃん』という言葉が生む意味以外に、発話者の感情(あるいは相手にそうと伝えたい・思わせたい感情)という意味を、そこに生み出すことが出来ています。


さて、この辺、アニメと現実とを比べると、アニメの方は非常にメリハリが強い――言い換えると、「統制が執れている」「コントロールされている」ように聞こえます。会話相手にもよりますが、現実の私たちは気まぐれな感情の動きを発話に簡単に乗せてしまう場合が多いのですが、アニメの発話はその辺がかなり統制されているように感じます。って、文字だと言い表しがたい……。


えっと、要すると、アニメは現実と違い、発話も全て、恣意的に選択された「意味のあるもの」として扱われているがゆえに、アニメキャラクターの声は、無駄に(発話に)「意味を乗せること」をしていない、と思われるのです。感情や意味を認識させる弁別特徴が、キャラによって基本的に一定であり(つまり喋り方の統一)、その上で必要な時にメリハリを効かせている。
例えば、渚なら自信なさげな喋り方、早苗さんなら相手を心配するようなor(&)包容力のあるような喋り方、みたいな、そのキャラクターのデフォルトな喋り方、というのを、視聴していると何となく感じると思います。これは、勿論脚本やキャラの性格などもありますが、声の出し方や息継ぎの仕方などで、その様に発話するようにしている(感情や意味を認識させる弁別特徴が、キャラによって基本的に一定)でもあるから、そういう特徴を視聴者側が感じるのでしょう。(というか、脚本や性格と相互に補強する関係なのかも)
そういうデフォルトがある上で、例えば渚なら、強く主張する場面は、まるでそれまでとは異なる力強い発話を見せるように、メリハリを効かせているわけです。


さて、その「声」に対しては、仮定的に声を単品で見れば、「絵」や「お話」が、メリハリが効いてる発話の文脈として機能していると言えるでしょう(逆も然りで)。渚なんかは、殆ど常に自信なさげな声なのですが、だからといって常に本当に自信がないのではなく、例えばその自信なさげな声質の中でも、前向きだったり、強い意志を持ってたり、またあるいは本当に自信なさげだったりします。その違いを明確にするのが、「お話」だったり、あるいは「絵」だったりという文脈なのです。


芽衣の話

その上で、今回の芽衣の話に戻ると、そこを上手くコントロールされてる感じがしました。
大概の場合においては、「声」と「絵」は、文脈として機能していて。その上一部(ラストとか)は、絵と声が離れてて(発話の仕方が絵(芽衣の絵)ほどではない感じ)。そして、そしてあの、我々の妹萌え正中線を真っ二つにぶった斬った、あのデートシーンなんかは、「声(発話の仕方)」は、多少の高揚を入れる程度で、聞いて分かるほどの脚色は無いのに、「絵」においては、やはり多少の高揚(大げさ)やデフォルメ表現を取り入れて、確信出来るほどではないけどそれとなく分かる脚色を表出している。

つまり、単純に、「声」と「絵」を完全一致にさしてないから本心が隠れてて(というか掴めなくて)萌えるよね、みたいな話。


で、いいのかな……。
よくないよなぁ……。
今回書き記さなかったけど、芽衣が、「あの」「その」「ねえ」みたいな繋ぎの言葉を殆ど発しないというのも、注目すべき点だと思うのです。
うーん。
つづく(かも)。

作品は「おもしろさ」を表意していない


「面白いかどうかは人それぞれ」って言葉はよく聞くし、概ね正しい(「人それぞれ」をどの尺度で捉えるかにもよるけど)と思うのですけど、この一言だけだと、あまりにも淡白だし

「人それぞれ」というのは、『面白い作品』を面白いと読み取れる人とそう読み取れない人がいる。
こんな誤解を招きそうな気がするので、ちょっと補足的に一言。


作品は、「おもしろさ」も「つまらなさ」も表意していません。


細かいこと言うけど、大事なことだから。「この作品は面白い」とか「この作品はつまらない」なんてロジックは絶対に成り立たないのです。「この作品は(今の)自分にとって面白い」「この作品は(今の)自分にとってつまらない」というロジックだったら成り立つ。
当たり前なんですけど、作品そのものに「面白い」「つまらない」を表意している対象なんかは存在していなくて、見てる(読んでる)こっちが勝手に「面白い」「つまらない」を感じたり評したりしてるだけ。
面白いかどうかを決めるのは、作品自体じゃなくて読み手の方。
ちょっとざっくばらんに言うと、作品の中に「面白がれる要素・構造」「つまらながれる要素・構造」はあるように見えるんですけど、それがまんま「作品が面白い」という事に直結するかというとそうではなくて、間に読み手を挟んでる――つか、「面白がれる要素・構造」「つまらながれる要素・構造」の、”面白がれる””つまんながれる”の基準(意味)が、(読みの)文脈に依拠している。ある特定の読みの介在が無ければその要素も存在しないという時点で、作品そのものに在るモノとは言い難いでしょう。どんな小説でも詩でも物語でも、ありとあらゆる時代と社会と国の全ての人に「面白い」「つまらない」と言われたモノは存在しませんよね。なぜ存在しないかというと、あること(この場合「作品」)から、あるもの(この場合「面白さ・つまらなさ」)を読み取る機能は、その対象全てで固定されてるわけじゃないからです。これが常に固定であるなら、実質上作品に内在しているとも言えるけど、そうではない。

とある文脈を共有できる人間には面白いかも、みたいな限定的な表意はありえます、つうか大いにあります。けど、それは読み手(ないし書き手)に依拠しているものであって、(限定を取り外せば)作品が面白さやつまらなさを意味しているとは言いがたい。
「人それぞれ」というのは、『面白い作品』を面白いと読み取れる人とそう読み取れない人がいる、ではなく、『作品』を面白いと読み取れる人とそう読み取れない人がいるということ。

「ゆっくり浸かっていって・・・やっぱ帰れ!!!」を評した結果がこれだよ!!!


■ゆっくり浸かっていって・・・やっぱ帰れ!!!‐ニコニコ動画(秋)


この動画が何かすげー素晴らしかったので誰も望んでナイだろうけど何か書いた結果がこれだよ!!!
なお僕は東方を全然知らない=キャラクターの名前も全然知らないので、「なんか樹生えてるヤツ」「巫女のヤツ」とか適当に記すけど気にしないでね。


描写の細かさ

繰り返し視聴すると、様々な点で「発見」をすることになるでしょう、というくらいにこの動画は「細かい」。僅か30秒、13カットの動画とは思えないほどです。



開始2秒の所。よく見ると、勢いよく開け放たれたふすまが、反動で少しだけ戻っているのがわかる。



4秒の所。先ほどテーブルに吹き出したお茶を吹いている動作が、さりげなく挿入されている。



上の直後。なんか頭から樹生えてるヤツが猛スピードで向かってきて急停止するのですが、その「動作の所作」が、一時停止しながらだと分かるのですが、早い段階での方向転換による減速と、髪の毛・なんか頭から生えてる樹もそれに伴い動くなど、非常に細かく丁寧。



そういう描写の細かさでは、この10秒ほどの所も見逃せない。まるで百鬼夜行かのようにゆっくり変化どもが室内を徘徊する風景なのですが、それがよく見ないと気付かないくらい非常に細かく描かれている。髪の毛・飛んでる奴の羽・歩いてるヤツの脚・きもんげの耳や無駄な乳揺れなどに注目していただきたい。



「見るたびに発見のあるような細かさ」の、何が評価できるかといえば、まずは「一回性の担保」という面においてでしょう。
一回見ただけで全てが発見されるのであれば――二回目以降の視聴も、初回の視聴と同じであり、その視聴体験は強度を失う(見落としがちな点ですが、二回目の視聴は、「二回目の視聴」という固有の一回性を初回とは別で持っている)。いや、さもすれば、初回の視聴体験すら二回目に牽引されて、その「一回性」が強度なき普遍的なものへと墜落してしまうかもしれない。
「細かさ」は、その点を緩衝する――視聴体験の豊饒を作品内に上乗せしているのです。


描写の誠実さ

次に、内容に関して言及いたしましょう。
ただ、先にも記したとおり、僕は東方を全然知らない(また湯名人も全然知らない)ので、原作あるいは二次創作において、この登場人物達がどんなキャラクターでどんな関係性を持っているか、その選択や登場にどんな意味があるかを知らないので、正しくは語れないであろうことをご承知いただきたい。
二次創作(あるいは二次創作のさらに二次創作)である本作を、ハイパーテクスト性も間テクスト性もガン無視して語るのですから、当然おかしな言及もあると思います。あくまで「この作品だけを見た者の言及」ということを念頭に置いていただきたい。


話の筋としては、「ゆっくり」たち(&ののワさん)が巫女の家にやってきて、なんか風呂入って幸せな感じになりながらも、熱湯に浸かりすぎて溶けてしまう、といったお話。

話の筋だけだと、何故ゆっくり達が、こんなにまでして他人の家の風呂に押しかけて、ここまでしてみんなで狭苦しく湯船に浸かるのか、といった疑問が生じますが、それが僅か4つの絵(+元ネタ&歌が湯名人)で説明されています。






一人で入っている時より、複数でまるでおしくらまんじゅうのように入っている状態の方が、――その二つの状態にある差異が「笑顔」「バックの星が上へと昇る」の二点――であることからも、幸福そうに見えるでしょう。つまり狭苦しい状態に対する指向が見受けられる。
また下の二点は、「狭い所にすっぽり嵌るゆっくり」「水がある(あるいは本来あるべき)ところに嵌るゆっくり」という図ですが、これは見ても分かるとおり”それまでの流れと分断されながら挿入されている”カットであり、そしてそういうカットは”確実に恣意性を前提として存在している”カットであるがゆえに、注釈的な意味合いを有します。この場合は、現在のゆっくりたちの状態――狭いお風呂にぎゅうぎゅう詰め――を、この2点のカットで、補足説明している、肯定的なものにしていると言えるでしょう。

行動の動機・整合性を、これら絵だけで、しっかりと説明している。



また、ゆっくりだけでなく、巫女さんの方も、絵だけで行動の動機・整合性の説明を成しえているでしょう。

冒頭の「(ゆっくり登場で)お茶を吹く」という反応(=驚き)、ゆっくり百鬼夜行時の「うろたえる・驚愕する」ような反応、


うなだれて廊下を歩く姿、

いわゆるレイプ目と二度見(これはもの凄く良く出来た描写で、風呂にゆっくりどもが居ることが分かってる&自分の家の風呂が何処にあるか分かってる状態でありながら、その風呂場を「二度見する(最初から注視していない)」のは何故かと言うと、そこに注意が向かないほどの精神状態である、ということを「レイプ目」という心神喪失的な意味を喚起する記号が補っている)、

そして、というか、だからこそ、ゆっくり殺しの時のこの真面目さ・真剣さが在る。

ここでこの行動を選択することと、この行動を真剣に行っていることの動機・整合性を、それまでの絵で十分に説明している。


「セリフがないMAD」にとって、意味は「映像(含む映像内の文字)」が全てであることを考えると、これはもう、素人が作られた僅か30秒ほどのニコ動MADとしては思いがけないほどの誠実さです。かなりの部分の説明を、作品内の映像だけで語っている。個人的には超感服。


音楽の何かアレ

最後、ついでに「音楽」。
棒歌ロイドと称されるゆっくり(でよく使われる人工音声)で歌われた湯名人の曲は、それだけでも通常から外れているのに、この作者様は、「ジャノメのゆーめいーじー↑ん」ってところとかの一部を、さらに外して作っております。
これはもう、「湯名人の歌」でありながら、「湯名人の歌」ではない。
映像の時点で、湯名人でありながら湯名人ではないのですが、さらに歌の部分でも湯名人でありながら湯名人でない――ここで最も重要なのは、全くの別物ではなく、湯名人が元となり何かしらが敷衍されて内包されている筈なのに、別物であるという事――つまりこの声が、「ジャノメのゆーめいーじー↑ん」という発音が、あの「ジャノメの湯名人」と、ここにある「ジャノメのゆーめいーじー↑ん」を分離してしまっているのです。

こういうの何て言ったらいいんだろ。異化作用っつうと大げさかもしれないけど、そんな感じというか。元ネタがありながらも、この動画が「この動画である」ことを決定付けてる感じがします。


そんなところで、おしまい。

『CLANNAD』の家族と、『キラ☆キラ』の家族――「機能」と「個人」

上記2作品(CLANNAD、キラ☆キラ)のネタバレが御座います、ご注意下さい。

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