(ギャルゲーとかで)鈍感すぎる主人公というのも、特殊性の証明になったり


また同人ゲーム「ひまわり」から思い立った話。
公式サイトのあらすじで分かる程度のネタバレと、序盤の感じを匂わす程度のネタバレを含みます。





僕はゲームプレイ速度が非常に遅いので、まだ序盤なんですけど。


ゲーム開始直後は、いろいろと、人物とか出来事とか過去とか現象とか、それ単体の持つ意味もこの文脈でそれが出てくる意味も不明だなって情報が多く登場してくるのですが、ゲームを進めるにつれ、台詞や行動や記憶などから、その情報を補足するような情報や、情報と情報を結び合わせられるような情報が出てきて、まるで推理物かのように、分からなかった情報達に推測を宛がうことが出来ます。


えっと、具体的には。
アリエスとかアクアの存在そのものとか、雨宮とか西園寺とか宇宙事業とか、月とか、指輪とかそこに刻まれた文字とか、主人公の家族(だった人)とか記憶喪失(2年以上前の記憶がない)な主人公の過去とか。


そういうものに対する情報が増えてきて、そういうものに対しプレイヤーが推理だの仮説だのを立てられるようになってきて、それが射幸心を煽ったりこいつらの往く先に興味が湧いてきたりとプレイ意欲を掻き立てたりもするのだけれど。
こうやって推理・推測できることによって、逆に、違和感を抱く部分があります。


主人公があまりに推理・推測しないところに。


推理物だとよくありますよね。「どうみても○○が怪しいだろ」とプレイヤーは思っていてしかもそれが正解だったとしても、作中の主人公が全然そんなこと考えてなくて、プレイヤーがやきもきしちゃうのとか。
ギャルゲーで言うならば鈍感すぎる主人公とかですね。「いやどう考えてもこの娘は主人公に好意抱いてるだろ」とプレイヤーは思っていてしかもそれが正解だったとしても、作中の主人公が全然そんなこと考えてなくて、超鈍感力発揮したりとか。この『ひまわり』の主人公も、軽く鈍感な感じですね。


こういった、主人公とプレイヤーとの間に認知や思考の不協和が生じることは、よくある話でして、そこから、この主人公鈍感すぎだとかヘタレすぎだとか、あるいは作者が主人公の思考をコントロールしすぎなんじゃないかとか、そういった感想を抱くことがあるのですが。
この『ひまわり』の場合は。
その不協和を、主人公が「記憶喪失」であるという設定が吸収しているんですね。


自分が置かれてる状況とかアリエスとかアクアの正体とかを全然真剣に考えない主人公は、プレイヤーから考えると、そこでロクに考えないのはちょっとそれ変だよ、さらに邪推すれば、シナリオを都合よく回すために敢えて主人公にそういうことを考えさせないようにしてんじゃないの? ということになるんですけど。
でも、最初から、記憶喪失だの、トラウマだの、育った・現在置かれている環境など、そういった「特殊な状況」に主人公が在ることを示しておけば。
彼は記憶喪失なのだから、そういうところを考えなくてもおかしくないのかもしれない、いや彼が変であるのは当然である、という風に捉えることができる。
彼が考えないのは、彼が鈍感なのは、「記憶喪失」の所為だ(=彼の特殊性の所為だ)と捉えることができる。


プレイヤーの認知や思考というのは、プレイヤー誰しもが同じ程度のものではありませんから、作り手側で主人公とプレイヤーとの認知・思考の不協和をコントロールするのが難しい。主人公の性格だと見られることもあるけど、一歩間違えれれば、作劇の為に主人公を無理矢理コントロールしているように見られてしまう場合もあります。その度し難さを埋めるのに、特殊性は保険のように働くのではないかと考えられます。
主人公とプレイヤーとの不協和に、作劇上の都合ではなく、作中からの理由を付けられることができる。
特殊性に不協和を吸収させることがある程度可能ではあるでしょう。


またその不協和は、人物描写にもなります。


都合よく主人公を鈍感にしてるなって描写をたまに見かけますけど、主人公が何の変哲も無い学生とかなら、そりゃ確かに都合よく描きすぎだろと捉えられてしまいますが、主人公が「特殊な環境下・生い立ちに在る」みたいな設定の下の存在だとすれば、鈍感もその「特殊な環境下・生い立ち」に理由付けられて、むしろさらに、プレイヤーと主人公との間に生じる認知・思考の不協和そのものが、「主人公が特殊だ」ということの立証にすら成り立つ


そういうこともあるなぁと。


平凡を売りにしてるキャラが、女の子が自分に寄せる好意に対し鈍感すぎだったりすると、それ物語を回す為に作者がわざと鈍感にさせてんじゃない? って感じに思われる可能性が高いけど、西尾維新戯言シリーズの主人公が、女の子が自分に寄せる好意に対し鈍感すぎるところには、他の事柄に関しては鋭いところと相まって、彼の特殊性がそこに表現されているように受け取ることもできる、みたいな感じに。とか。そんな話です。