「エロゲー」に見い出した面白さは「エロゲー」にしか見い出せない


ぬわっ……ご修正されたので噛み合わない記事になってる感ありありですが、補足的な意見という感じで提示させていただきます。


エロゲーは「特別」なんかじゃない
http://tekitounaotoko.blog4.fc2.com/blog-entry-327.html

エロゲーは、表面的には、テキスト・絵・音楽・声・動画・ゲーム性(プレイヤーの選択の自由度)を混ぜ合わせて表現する事で成り立っている。
エロゲーの場合、そこに「エロ」というスパイスが加わる訳だ。
エロゲーは、先に挙げた様な、エロを含む諸要素を総合的に掛け合わせて作品として成立させているという点で優れているだろうが、個々の要素それ自体は他のジャンルにも存在する質の面白さであろう。
(強調部は原文ママ


テキスト・絵・音楽・声・動画・ゲーム性・そしてエロという要素があって、それらが一度に楽しめるんじゃなくて、それらが相互に機能しているのです。
(ゲーム性に関しては、当記事でも細かくは言及いたしません。ただあの主人公=プレイヤーの同一化への煽りが、ゲーム以外の他ジャンルとの強い差異で、それ故にそれが特別視に結びつきかねないのかもなぁとかちょっと思います)


それら要素を、別々に楽しんでるわけではありません。てゆうか、別々に楽しむように作られてはいません(だからCGモードや音楽モードなどの”別々に楽しむ用”のオマケが用意されているわけで)。
私たちは、物語は物語で、絵は絵で、音楽は音楽で、ヴォイスはヴォイスで、別々に受容してはいません。
そういった要素が相互に結び付いて、物語や登場人物や、音楽などを彩るのがエロゲーでしょう。例えばあるエロゲーの物語が面白かったとして、テキストが一番の意味を成していただろうけれど、しかしそれはテキストだけの功績(印象)なのかと問われれば、イエスとは言い切れないでしょう。だってテキスト以外の部分も存在していて、それも同時に受容しているのだから。
テキストが物語を綴って、絵がそれを補強して、音楽が情動を盛り立てて、声が印象を厚くして――それらが一度に同時に起こり続けているのがエロゲーでしょう。


これは漫画だってアニメだって小説だってそうです。私たちは、それらを構成する要素を別々に楽しんでるわけではありません。漫画なら、絵・セリフ・セリフ以外の文字(書き文字など)・物語・コマ割り・構造――それらを別々に読んで別々に楽しんでるわけじゃないですよね。漫画の物語を楽しむ為には、絵やセリフなどの別要素は必要不可欠だし、また絵を楽しむにも、勿論ただ眺めるだけという楽しみ方もありますが、漫画の在り様に十全に沿うならば、セリフや物語などの要素も絡めて見る(つまりそこでその絵が描かれた意義・必然性を知った上で見る)べきでしょう。
翻って言うと、つまりそれら要素は、何の結び付きもなく点在しているわけではないのです。ただ勝手に点在しているのではなく、そこでその絵になったのは、そこでそのセリフが出てくるのには、他の要素と絡む必然性があってのことなのです。


漫画なら。絵・セリフ・文字・物語・コマ割り・構造……などの要素が、その結び付きが、「漫画」というものを構築している。別々に存在しているのではなく、それらが作品を形作る機能体として存在している。ですので、斜に構えず真面目に読めば、それら要素を別々に受容するなんてことはまず在りえないのです。


これはそっくりそのままエロゲーにも言えます(エロゲー以外の何にだって言えますが)。
テキスト・絵・音楽・声・動画・ゲーム性・エロ……それら要素は、別々に点在しているわけでもなければ、別々に受容しているわけでもありません。ただ勝手に点在しているのではなく、そこでその絵になったのは、そこでその音楽が流れるのは、他の要素と絡む必然性があってのことで、そして別々に受容していないからこそ、そこでその絵になる、そこでその音楽が流れる意味を、私たちは知っているのです。


それらの要素が結び付いて出来上がったのがエロゲーです。
というより、精緻に言えば、それら個々の要素が「作品」の為に機能している(その集合体)がエロゲーだと言えるでしょう。


そして、これと「全く同じ」要素が機能的に集合している作品は、エロゲ以外にありません(というか、そういうのはほぼ全てエロゲになってしまう)(WEBコミックが漫画であるように、ジャンルを形作るのはメディア形態ではなくパッケージングされている構成要素に依拠されるでしょう)。



つまり。
エロゲーに完全に代替するものは、存在しないのです。


もちろん、エロゲーより面白い物語は、たくさんあります。エロゲーより上手い絵も、たくさんあります。エロゲーより優れた音楽も、たくさんあります。
しかしそういった様々なものが組み合わさって作られたエロゲーと、同じものが組み合わさって作られたものは、エロゲー以外には存在しません。
エロゲーに見い出した面白さが、もし何かの一要素だけならば、その一要素がずば抜けているならば、代わりになるもの――あるいはそれ以上のものが、存在するでしょう。しかし全く同じものは見つかりません。
これも何にだって言えます。漫画に見い出した面白さは他には見つからないですし、アニメに、音楽に、小説に、エロゲーじゃないゲームに、何にでも言えます。全て特別ですし、全て特別ではありません。
何にでも。
完全に代わりになるものなど、存在することはないのです。