(エロゲーで)ヴォイスが無いことが演出に寄与できる場合もある


二つくらい前の記事で「ギャルゲーでヴォイスがどうこう……」とかほざきましたが、『ヴォイスが無い』というのも難しいけど演出に寄与するものではあるんだなぁと実感。


丁度今やってるゲーム、ぶらんくのーとの同人ゲーム「ひまわり」に凄く上手い場面があったので引用。
当然ですがこのゲーム、キャラクターの音声はありません。


序盤のネタバレがほんのちょっとアリます。










>「アスカはヨーイチにラブラブなんですか?」
>「そんなの当たり前じゃない」
>「あ……あれ? 冗談のつもりだったんだけど、そんなにびっくりした?」


中間の台詞を1・2個カットしてるので、ゲームやってない人には分かり辛いかもしれませんが、まあその辺はフィーリングで。


これは、「その台詞は本当に冗談で言っているのか?」というのが重要な場面なんですけど。
その真意を確かめるためには、音声・台詞の文面・話の流れ・過去の言動・キャラの表情や仕草、などからの推測に委ねられるのですけど、このゲームは音声が無いので、その推理材料から音声が失われます。
これだけで、驚くほどこの台詞の真意が分からなくなる。
そもそも、先に『音声・台詞の文面・話の流れ・(その台詞を言った人物の)過去の言動・キャラの表情や仕草』と記しましたが、どれか一つが欠けているだけでも真意の推測は結構難しくて(電話とかメールでのすれ違いとかね)(つうか何一つ欠けてなくても難しいのだから)、しかも「ひまわり」のこの場面は、
・音声欠けてる ・序盤だから過去の言動から推測みたいなの難儀 ・文面はどちらにも取れる ・表情や仕草も、ゲーム序盤なので”この表情の真意”が今一つ掴めない
と、やたらめったらに、「そんなの当たり前じゃない」が冗談なのか本当なのかを見分けるのが難しい。


音声が無いことで、これが「マジ」なのか「冗談」なのかが、より分からなくなる。
逆に言うと、ユーザーにより「考えさせる・想像させる」ということでもあります。


「昔のゲームはユーザーの想像力を刺激してうんたら」みたいな言説を偶に見かけますが、ベクトルとしては近いですね。絵がしょぼいなら想像で補うように、(推測する)材料が足りないのなら、想像で補う
どういう声でこの台詞を喋ってるかわからない分、表情や仕草、台詞の内容や過去の文言(こいつはこういう冗談を言うような奴なのか、とか)、会話の流れ、そういったものから推測せざるを得ない。


……や、まあ、普通のことなんですが。
それ以上を、この「ひまわり」の、このシーンに見ました。ただのレアケースかもしれないけど。


なぜ「ひまわり」のこのシーンが目に付いたのかと言うと、狙ってないかもしれないんですけど、この直前にさんざん『実存の証明』みたいなことを提示していたのです。

――証明できるか?
アリエスが、確かにいると証明できるか?
「信念を貫き通せ。そして、自らの見聞きしたことのみを信じるのだ」
MIBは空想の産物だ。
えっと。細かいことはネタバレになっちゃうっぽいので省きますが。てゆうか僕がまだこの箇所くらいまでしかゲームが進んでいないので、大違いなこと言ってるかもしれませんが。
『「確認」できないものは「証明」できない』として、この主人公はそれらを唾棄しています。
その主人公の心境と、この台詞に対しプレイヤーの置かれた状況――音声が無いが故に確認できない、つまり冗談なのかマジなのかの証明ができないというこの状況――は、相互に作用してしまっているのです。
音声が無いから(より)分からない、というプレイヤーの心情が、主人公の心境(『「確認」できないものは「証明」できない』)に、多少なりとも近づく。
つまり。音声が無いということが、演出として機能しているのです



「ひまわり」のコレは、ただの偶然かもしれないけど。例えばホラー映画で怪物の存在の影だけ見せるみたいな、疑心暗鬼の増幅装置として受け手に委ねる箇所を敢えて創出するというのはよくある話だけど、エロゲーにおける音声の喪失という、システムレベルでもそれを醸し出すことが可能なんじゃないか、とか。そんな話です。