違った読み方を提供してくれる、「面白い感想」


■自分にとって最良のエロゲにめぐり合う方法
http://ralf-halfmoon.jugem.jp/?eid=209


Half Moon Diaryさんの記事。「エロゲ」と限定しておりますが、漫画でも小説でも映画でもアニメでも音楽でもエロくないゲームでも、それは仰るとおりだと思います。


ただ、うっかり文章の面白さだけを見てしまうと、元のゲームを自分でプレイするよりその人のプレイ体験を読むほうが面白かったなどという事態を招きかねないので注意が必要ですが。
この辺、「よく分かります」と手を打つところでもあるんですが、
はて、そういう面白い感想には、もしかすると自分には無い読みの視点が存在しているのではないかと思わされます。


自分が楽しめなかったものを、ある人が楽しんでいる。
あるいは、自分以上に、ある人は楽しんでいる。
それは、自分とは違う読み方をしているからなのではないでしょうか、と。


面白い感想には、面白さが担保されている


漫画やゲームなどで、画像使ったりフォント変えたりしながら、面白くネタっぽく脚色したりして、読んでいるだけで楽しい気分にさせる感想を書かれるサイトってありますよね。


でもそれって、そのサイトの書き方が面白いだけであって、作品自体が面白いわけではないのかもしれない、という疑念が少し湧きます。
その感想は、その作品の面白さ・楽しさの本質を突いていないかもしれません。


例えば、作品内のあれこれにツッコミを入れまくる感想とか。ひたすら「萌えた!」と叫び倒す感想とか。作品をちょろっと再構築している感想とか。深すぎるくらいに深い読みとか考察とか。
そういうので「楽しい・面白い」文章が、作品の楽しさ・面白さを的確に言い当てているかというと、何とも言えないところでしょう。
だってそれは、ツッコミを入れたから面白いのであって、萌えてるから楽しいのであって、再構築したから楽しいのであって、深く考察したから面白い、”なのかもしれないから”。


しかし、逆に言うと、そういった感想には、『そういう読み方をすれば面白い・楽しいが存在する』ということが担保されている、とも考えられます。


僕の場合ですと、漫画『テニスの王子様』です。途中からは、何が面白いのやらと読み飛ばしていたのですが、ネット上の「ツッコミを入れたりネタにしている」感想を読んでからは考えが変わりました。あくまでも僕の場合、普通に読んでいたら決して面白く無かったのに、そういう風に読んだら面白かった。
つまり、ネット上の感想に、面白い読み方を提供してもらったわけです。
読み方というのは当然十人十色なもので、自分の普通の読み方では面白くなかった作品も、違う読み方をすれば、そこに面白さが発見できるかもしれない。


「楽しい・面白い」感想は、そういった読み方の提供を加速させることができると思うのです。
なぜなら、楽しんでる姿・面白がってる姿を、既に見せているから。
言葉よりも、行動や状態の方が説得力がありますよね。誰かが「楽しいよ」と言ってる言葉を聞くよりも、実際に楽しんでいる姿を見ることの方が説得力があるし、誰かが「萌えるよ」と言ってる言葉を聞くよりも、実際に萌えてる姿を見ることの方が説得力がありますよね。


既に実践されているほうが、「楽しさ・面白さ」が本当に存在するものとして認知できる。
面白い・楽しい感想に書かれた、それらの面白さや楽しさは。
少なくとも、その人(感想書かれた人)の中には存在していると信じられる。
その感想書かれた人と同じ読み方をすれば(=自分に可能ならば)、自分にも、同じ楽しさがそこに存在していると担保される。


面白い文章の感想とは、「楽しさ・面白さ」の面で、違った読み方を提供できるものであり、またそういう読み方さえすれば・できれば「楽しめる・面白がれる」ということを信じられるものでもあると思います。