「シャララ エクスタシー」にも意味はあるのでしょう。


作品における(受け手の読みにおける、その作品の)『意味』と、作者の『意図』。その二つは、明確には同じではない……というか、かなり異なる代物です。
作品内のモノ、その全てに『意味』は宿っています。どんな些細なテキストにも、どんな小さなグラフィックにも、どんなか細い音楽にも。たとえ弱く儚くあってもなくても同じレベルであろうとも、確かに『意味』は存在します。
ただ、その全てが『意図』の元に作られたわけではありません。正確には、”意図が表現されてるとは限りません”。当たり前の話ですね。全ての表現を的確にコントロールするのは難しいし、全ての連辞を十全にコントロールするのは不可能に等しい。伝えたいことや表現したいことをそのまま過不足なく伝えたり表現したりできれば、何も苦労はしないという話です。
しかしながら、作品として表記されているものがある以上、それはその作品にとって――受け手にとって――何かしらの『意味』を創出してしまっています。


何かと話題な「リトルバスターズ!エクスタシー」の、HシーンでのBGM。

エクスタシー エクスタシー
シャーラーラー エークスタシー
リトルバスターズ!エクスタシーのHシーンBGMがなんかヤバイ件
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4091139
現状では、まるでネタやギャグのように消費されている節がありますが、しかしこれにも『意味』と『意図』があるでしょう。


『意図』を正確に量り知ることは不可能です。しかし、それを知っていようがいなかろうが、表記されたもの全てに『意味』はありますし、意図が表明されない限りは、そちらの方が優位に意味を生成できるでしょう。
「シャララエクスタシー」を、ギャグだ、ネタだ、と捉えることも出来ます。正直、私も最初は盛大に吹いてしまいました。
しかし、それ以外の意味も確実に存在します。それ以外の意味に捉えることも出来ます。
あの音楽と、歌詞の「エクスタシー」という言葉の意味(神秘体験的なうんぬん)と合わさって、何となく神聖な感じを表現したいとか、そこから逆に「Hすること」が持つシナリオ上の意義まで規律している、など、色々な意味を創出できます。もちろん、「恭介が歌ってる(歌わせてる)」説も大いにアリだと思います。
「シャララエクスタシー」を、(個人的にならともかく)誰しも共有できるような意味で固定することは、私には力不足で出来ません。そこまでの材料を見い出せていません。作者側の意図が表明されれば、ある意味早いとは言えますが。
しかし、然様な現状であれ、このBGMに、ネタやギャグで消費される『以外の』『以上の』意味もある、というのもまた、確かでしょう。