(エロゲとかの)ループものについて少し。


ループものについて少し。つうかよく纏まっていないメモ。


例えば一本道や(普通のフォーマットの)選択肢による並行世界にするのではなく、わざわざループ構造にすることには当然、何らかの意図があるだろうし――もし意図が無いとしても、もし意図が見えないとしても、そこに(意図とは関係なくとも)何らかの意味は生み出されているでしょう。


ループの特徴として、まず「繰り返し」「やり直し」が挙げられます。ループものは大概、ある時点・地点まで到達したらループの始点に戻るという体裁を取りますから、てゆうかループというのは基本的にはそういうもののことですから、必然、繰り返したりやり直したりできるということになります。
繰り返し・やり直しに接する物語は、主に二つの方向性の意味を持ってして描かれることができるでしょう。「繰り返すことができる・繰り返されてしまう」「やり直しができる・やり直されてしまう」――これの前者・あるいは後者という方向性。この二つ、起こっている事象は同じですが、感じている主体が異なります。どんな出来事も感情も、ループによって無かった事になってしまうという前者。どんな出来事も感情も、ループによって無かった事にすることができるという後者。
ただし平行世界(可能性)ではなくループ(連続性)なので、たとえば登場人物の記憶もループするような設定でも、厳密には無かったことにならない――少なくとも、通じて観測できる読み手にとって、それは連続して起きてる出来事だと記録されます。
この、厳密には「無かった事にならない」――「起こった事実になっている」という点は、並行世界設定とループ世界設定との大きな差異に挙げられるでしょう。そして主人公・登場人物がループ毎に記憶を失う場合は、読み手の記録による二者の情報の乖離、またループという世界構造に対する知覚如何でも乖離・差異が生じます。


大雑把に纏めると、

  • ループによって無かった事になってしまう←→ループによって無かった事にすることができる
    • 「ループ設定」そのもの――それに接する主体が、物語の意味合いを変化させられる。作中人物が「ループ」を認識していれば、彼らの感情に作用させられる。作中人物が認識していなくても、読み手に対して作用させられる。
      • ざっくばらんに腑分けると、前者がグッドエンドで後者がバッドエンドみたいな。リトバスの個別シナリオにおけるヒロイン達の心情が前者なら、クロスチャンネルの太一が皆を殺しちゃったシナリオが後者みたいな。
  • 平行世界(可能性)ではなく、ループ世界(連続性)。例え作中で忘れ去られても、「あったこと」「起きたこと」である。
    • 「忘れてても厳密に無かったことにはならない」と言えばリトバスとか。プレイヤーとアンリとゲームシステムだけが連続性を共有していくフェイト/ホロウとか。その連続を通じて観測している読み手に対して物語世界を跳び越して(というか読み手もそこに組み入れて)意味を作り上げるEver17とか。

あとは……ループというのはループから出る条件を満たすまで永遠に続いたりするものが多いので、その「永遠を壊す」――不変を唾棄する、停滞を拒む、変化を望む――みたいなのと相性が良い。どれだけ楽しい世界でも、どれだけ優しい世界でも、どれだけ居心地が良い世界でも、それを拒まない限りは永遠にループが続いてしまう。ゲームを繰り返しプレイするプレイヤーという構図(=ある意味ループ構造化)を、ゲーム自体がメタに語ってる面もなくはないかも。とかそんな話。