クリックで速度を変えられる関係


ギャルゲーやエロゲなどのノベルゲームやアドベンチャーゲームは、画面に文章が流れてきて、キャラクターがセリフを喋ったりしますけど、大抵の場合において、ボタンをクリックすると、それを早く表示したり飛ばしたりできます。

今更気付いたのですけど、これってもの凄く重要なことなんじゃないだろうか。

僕なんかは、自分がつまらないと感じるシーンとか、あと見てて辛いシーンなんかは、早く過ぎて欲しいと思うので、大抵クリック連打で素早く読み飛ばしたりしちゃう(全ての語句を精緻に見ないで、認知できた全体の何割かの語句から概要を掴む感じ)のですけど。
こんな風に、つまらない部分、あるいはイヤな部分を、話半分の理解でもいいからさっさと終わらせてしまうと、普通に読んでるプレイヤーと感じることも変わってくるだろうし、何より、作中人物の心境とか――てゆうか、作品自体との乖離も激しくなるかもしれない。
作品内の時間と、ゲーム上で描かれる時間は当然違う(三日三晩続いた出来事でも、実際読むのに三日三晩かかるわけはないので)ので、そういう点での乖離はとっくにあるんだけど、作品内で長時間描写されているモノは、それだけの何かを得ているわけで(つまり、長さが重みや強度を持つとか、そのような状況・状態が長く続いたという事を暗喩しているとか)、その部分を、クリックで速度を変えることにより、長いという事実は知っているけど実感としてそれを得ていないという部分で、何処かの何かが乖離してしまうような気がする。

例えば。『Ever17』というゲームがありまして、僕はこれの最終シナリオが大好きなんですけど、そこに至るまでにやらなくてはならない4つのシナリオのうち3つは、個人的にあんまり面白くなかった。もしまた、最初からプレイするとしたら、その3つのシナリオはボタンクリックを早くして素早く読み飛ばしてしまうと思うんです。……でも、そうしたら、どうなんだろう、とも思う。昔やったときは、読み飛ばしなんかしてなくて、最終シナリオ行くまでに20時間くらいかかったのですけど、その20時間をクリック連打で5時間くらいに縮めてしまったら、何かが違うんじゃないだろうか。プレイ時間の長さが、その状態・状況が長く続いた、辿り着くまでの道のりが長かったということを示唆している部分もある(『Ever17』においてそれは重要なことでもある)し、自分がクリックしまくって読み飛ばしたという恣意性が、どうしても物語に入り込んでしまうような気もする。


単純に。作品側が吸収するようなことではない、受け手の読み方の問題であるんだと思うけど。

速度をコントロールできてしまう、という、つまり読み手の恣意性が受け方をコントロールできるという部分が重要なのかも。