DMCファンが言う、「俺たちはクラウザーさんに生かされてるんだ!」の正しさ


デトロイト・メタル・シティ』で、DMCファンがよく「俺たちはクラウザーさんに生かされてるんだ!」と言うけれど、考えたらそれって、あの漫画世界での彼らにとっては正しい認識なんだろうなぁと思った。
もちろん言ってる彼ら自身は、宇宙を支配しているのが魔王クラウザーさんだから、クラウザーさんあらずんば俺もあらず、クラウザーさんが宇宙の中心だから、みたいな、狂信的な支持からガチでその言葉を発している、つまりあくまでも彼らの主観的な妄信から言ってるのかもしれないけど。そこを敢えて無視して、この言葉が正しいものだとして、その正当性を考えてみると。

あの漫画世界での彼らはDMCファン、クラウザーさんのファンという形で存在が与えられていて――例えばもしクラウザーさんが存在しなかったら、「DMC・クラウザーファン」という彼らもまた存在しない(もし描かれたとしても、今のDMCで描写される彼らとは『別の彼ら』になっているだろう)以上、クラウザーさんが居ることで俺たちもこの漫画に存在できる=俺たちはクラウザーさんに生かされている」というのは非常に正しい認識なんだろう。クラウザーさんと(ファンという形で)繋がりが在るという前提が、あの漫画で彼らが存在している(描かれている)理由になっている。


デトロイト・メタル・シティ』という漫画は、根岸=クラウザーとDMCを中心に、彼らを取り巻く人物と出来事を描いたお話である以上、その繋がりで描かれるサブキャラにとっては「根岸=クラウザーのお陰で漫画世界に存在できている(生きている)」という前提はどうしようもないくらいにあるでしょう。例えばもし、相川さんが根岸と何の繋がり持たない赤の他人だったら、この漫画世界に描写されることはなかったかもしれない。
それは「存在していない」の証明にはならない(描かれてないだけで、何処かにはいる”かも”しれない)けれど、「存在している」証拠にもならない。だって描かれてないんだから。認識されていない全てのものが、今はまだ存在が確定していない存在であるように、漫画内で描かれていないモノの存在も確定未満の存在であり(1巻の時点ではヘルヴェタやクラウザー1世が存在していなかったように)、根岸=クラウザーさんを中心に描写されるこの物語では、全てのものは根岸=クラウザーさんに生かされている(存在を確定されている)という認識は、ある意味正しいのだろうと思う。